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誰かがそれを使うことで、
初めてデザインとして認められる。
あのイーハトーヴォのすきとおった風、夏でも底に冷たさをもつ青いそら、うつくしい森で飾られたモリーオ市、郊外のぎらぎらひかる草の波。
またそのなかでいっしょになったたくさんのひとたち、ファゼーロとロザーロ、羊飼のミーロや、顔の赤いこどもたち、地主のテーモ、山猫博士のボーガント・デストゥパーゴなど、いまこの暗い巨きな石の建物のなかで考えていると、みんむかし風のなつかしい青い幻燈のように思われます。
では、わたくしはいつかの小さなみだしをつけながら、しずかにあの年のイーハトーヴォの五月から十月までを書きつけましょう。
そのころわたくしは、モリーオ市の博物局に勤めて居りました。
十八等官でしたから役所のなかでも、ずうっと下の方でしたし俸給(ほうきゅう)もほんのわずかでしたが、受持ちが標本の採集や整理で生れ付き好きなことでしたから、わたくしは毎日ずいぶん愉快にはたらきました。
・殊にそのころ、モリーオ市では競馬場を植物園に
・拵(こしら)え直すというので、その景色のいいまわりに
・アカシヤを植え込んだ広い地面が、切符売場や信号所の建物のついたまま、
わたくしどもの役所の方へまわって来たものですから、
わたくしはすぐ宿直という名前で月賦で買った小さな蓄音器と二十枚ばかりのレコードをもって、その番小屋にひとり住むことになりました。わたくしはそこの馬を置く場所に板で小さなしきいをつけて一疋の山羊を飼いました。
デザインに対する想い。
五月のしまいの日曜でした。わたくしは賑(にぎ)やかな市の教会の鐘の音で眼をさましました。もう日はよほど登って、まわりはみんなきらきらしていました。
時計を見るとちょうど六時でした。
わたくしはすぐチョッキだけ着て山羊を見に行きました。